信長の野望 天道 リプレイ



全国モード 上級 1568年11月 信長上洛 徳川家 後編




三河魂で追い上げる

1576年5月

ついに大友家が九州探題になった。


1579年2月

ここまでの流れ

1576年6月 北条家の岩付城を制圧、北条家を滅ぼした
1577年4月 結城家の結城城を制圧、結城家を滅ぼした
1577年12月 里見家の久留里城を制圧、里見家を滅ぼした
1578年11月 佐竹家の太田城を制圧

進撃を続ける一方で、技術研究も進みついに足軽系統7つの条件を満たした。



こうして独自技術「三河魂」を獲得。
足軽隊の足止・動揺を防ぐという効果は微妙に見えて、異常な足止め率でイラつかされる上級では案外助かる。


1579年6月

上杉家の小高城を制圧。
上杉謙信と初めて交戦したが余裕で勝てた。と思ったら謙信ちゃん病気て…

ここで現在の全国情勢



本城数

15:大友家
10:徳川家
*9:毛利家
*8:織田家

序盤あれほど動きがなかったのに、なんだかんだで伸びてる織田家。
そして九州を飛び出し中国四国に侵出した大友家が怖い、毛利家がどれだけ耐えてくれるか。

武田家と上杉家は膠着状態に入った(互いに積極的に攻め込んでいるが撃退されてしまうようだ)ので後回しで良さそうだ。
このまま北上して伊達家、南部家と行く予定。


1581年2月

ここまでの流れ

1580年3月 伊達家の岩切城を制圧
1580年5月 上杉家の当主、上杉謙信が死去 後継は景勝
1580年9月 大友家包囲網が成立 毛利家、織田家らが参加

包囲網で大友家も少しはおとなしくなるだろうと期待していたのだが、あっけなく毛利家が崩壊。だめだこいつ…
このあと織田家まで取り込まれてしまっては詰むので、
岡崎城から強引に遠征して、滅びかけの毛利から尾山御坊を奪いとった。
これで今後は織田と協力して大友に挑むことができる。



特に回り込みがしやすい岸和田城防衛戦で傷兵獲得を狙う。


1581年10月

◆歴史イベント 直江改名 発生!

樋口兼続が直江兼続に改名。

浅井家の当主、浅井長政がいつのまにか死んでいて小督(江)が大名になっていたのに気づいた。
長政は処断されたのか討死したのか寿命だったのか謎。



しかしまさかAIが姫大名を選択するなんて…





反撃の時

1587年12月

あれからかなり厳しい状態が続いていた。
大友家の兵力は圧倒的で、どうにか織田家が潰れないようにするだけで手一杯。
その間に本願寺家が呑まれて、もうこれは無理かと諦めかけていた…

転機となったのは八上城。ここの兵力が移動したのを見計らって侵攻し無事に制圧。
大友家の領土を分断することに成功した!
そして補給の途絶えた桜洞城へ、またしても岡崎城から織田家の領土を飛び越える手法で奇襲。
難なく制圧し、そのまま富山城も手に入れた。



本城数

27:大友家
20:徳川家
*9:織田家

まだまだ差は大きいが、最盛期の大友家は本城31だったので確実に流れは変わってきている。
さあここからが正念場だ。


1590年3月

南部家、津軽家、蠣崎家を滅ぼし奥州探題を獲得した。
すかさず佐竹家と上杉家に攻勢をかける。

織田家も武田家を追い詰める奮闘ぶり。



大友家は弓木城から、織田家の小谷城への進軍を繰り返している。
徳川家は八上城から出陣してこれの背後をつく、パターン入りましたとさ。
しかし問題はこれで削っても全然兵力が減らないこと。
そう守る分には安定してきたが、まだ決定的な攻め手に欠ける。


1594年5月

佐竹家を滅ぼし、上杉家と武田家も追い詰めていたら織田家にドドメをさされた。貴重な武将が…
まあそれは仕方ないし織田が強くなるなら良いやと出陣した部隊でそのまま能登、加賀、越前へと攻め込んでいった。
分断状態の大友領は楽に制圧できた。弓木城から援軍が来たら前述のとおり八上城から後追いして始末。

こうして敵が大友家だけとなってからが急展開。
織田家が四国へ出陣したところに合わせてこちらも一気に動き、ついに四国上陸を果たした。
大友は弓木城(丹後若狭)と支城・三木城(播磨)に兵力を集中していたこともあってか、四国はスカスカだった。
近畿方面に攻め込まれて危ない場面もあったが、東からの輸送も追い付きそのうち兵力も城数も逆転。



本城数

32:徳川家
20:大友家
14:織田家

そろそろ征夷大将軍が見えてきたか。


1594年12月

織田家の支城・備中高松城に向けて突如、大友家が天神山城から総攻撃。
慌てて吉田郡山城から援軍を出すが、あまりの兵力差に太刀打ちできず撤退。織田は支城・備中高松城を失った。
さらに大友の進軍は続いたため、吉田郡山城を放棄して武将移動。
物資放置はまずいので輸送隊を出し安全な安芸灘ルートで十河城へ。これが足止めされまくり兵糧に打撃。

この間に隙をついて支城・三木城を奪い、そのまま姫路城へ進軍したが、引き返してきた部隊が続々入城して長期戦になり兵糧が尽きた…
というところでちょうど制圧、ぎりぎり間に合った。

さらにこの手痛い反撃の最中、織田家の当主、織田信長が死去。
家宝による寿命延長も流石に何十年も持つはずないか。後継は信忠(史実的にいつ死んでもおかしくない)





将軍になれなかった

1596年11月

奪われた城も取り返し、進軍を続けついに九州侵出、城井谷城を制圧。


1597年10月

隈本城を制圧したところで大友家に勧告し、成功。
こうして徳川家と織田家により天下は平定された。



約29年…
どうしてこんなにかかってしまったのか、想定外に次ぐ想定外、その連続でした。
まず最初に今川家が弱すぎたのがいけなかった。ここで完全に油断して、
次の北条家と武田家との戦いで失敗を繰り返してしまいました(しかも武田はこの時に仕留められず)
それ以降も、のろのろと拡大していたら大友家が大変なことになっていて、
慌てて動くも既に大差でその後の苦戦は必至。ここまでが前半の15年です。
後半の15年はほとんどが大友との戦いでしたね。
防戦に徹しながら同時に中小勢力を併呑、この間がもっとも厳しかったです。
敵が大友だけになってからは、危うい場面もあったものの時間はそれほどかからず。
全体として、難しかった分の盛り上がりや面白さは相当感じられたので、まあ良かったです。

征夷大将軍就任の打診がなかった理由は不明です。本城の数は全国の半分どころか最終的には44もありました。
名声は1300以上、そしてもちろん征夷大将軍に就いている武将はいません。
どうしてだろう、単にwikiに載っている以外の条件があるのでしょうか。
最終役職は関東管領、官位は権大納言でした。

楽しかったけれどちょっと全国モード疲れが出てきた感も。
今後は群雄覇権やってみようと思います。

おわり