信長の野望 天道 リプレイ



全国モード 上級 1568年11月 信長上洛 徳川家 前編




はじめに

プレイ設定は以下のとおり



前回比で中級→上級に、寿命長寿→史実に。
さらに今回はじめて討死あり、架空子なしでプレイします。

徳川家の得意兵科は足軽です。
足軽は騎馬や鉄砲や各種兵器のような編成のために必要な物資がない、最も低コストな兵科です。
にも関わらず能力は優秀で、野戦も攻城もそして機動の高さから輸送まで無難にこなせます。
そのバランスの良さからして弱点も特にありません。兵科間の相性補整みたいな要素もないので。

武将は当主である徳川家康を含め総勢16人います。

徳川家康
統*96 武*87 知*94 政100 足軽S 騎馬C 弓D 鉄砲B 兵器A 鉄壁之備

鳴くまで待たなくても天下が取れそうな脅威のステータス。
ここに官位の三河守による効果で統+6政+6と、家宝で統+4され統も政も106になります。

本多忠勝
統*91 武*98 知*71 政*60 足軽S 騎馬A 弓D 鉄砲C 兵器B 神槍

優秀な家臣団の中でも抜きん出ているのが、最高の足軽適性と最強の足軽戦法を持つ本多忠勝。
さらに家宝で統と武それぞれ+10と優遇されすぎています。

伝承イベントすべてとしましたが、謙信ちゃん出したいだけなので家康は影武者ではありません。

ゲーム開始。





まずは順当に

1568年11月



城は三河の岡崎城のみ。
この岡崎城、城郭が初期状態なので改築しないと拠点戦法が使えない。

初期技術は足軽系統の腹巻鎧と、なぜか弓系統の軽弓。

隣接勢力は、

織田家 清洲城
兵力9670 岡崎城の北、同盟関係、総兵力は34750

武田家 高遠城
兵力5690 岡崎城の北東、距離は遠い、総兵力は45430

今川家 引馬城
兵力9220 岡崎城の南東、距離は近い、総兵力は14520

徳川家の総兵力は10880で、いずれの隣接勢力とも徳川家より城の数も総兵力も多い。
織田家との同盟を破棄する理由はないので、必然的に相手は武田家か今川家に絞られる。
今川狙いがベターかな。下手に武田を弱体化させると上杉家が伸びる心配もあるし。


1569年5月

◆歴史イベント 塩留め 発生!

武田家の塩不足を見かねた謙信が塩を送り、信玄が礼に家宝を送るという内容。
上杉家が家宝の刀を得て、武田家と上杉家の名声20上昇と領内民忠100に。

しかしこのゲーム、自家関連のイベント以外は簡略表示しかされないのがいただけない。
○○が起きましたとしか出ず具体的な効果まで省略されるという有様。不便だ。
自家関連以外のイベントを詳細に表示しますかしませんかの選択肢がほしいところ。

今川家が砦を建築しそうになったので本多忠勝の騎馬隊を突撃させたら…

「敵将!仕留めたァ!」

ん?捕縛ではなく?と事象情報欄を確認すると、工作隊を率いていた朝比奈泰朝が討死したらしい。
そうか工作隊でも討死するのかー。敵に同じことされる可能性もあるわけだ、これは気をつけないとな。


1569年8月

内政もひと通り終わったので、攻勢に出ることにした。
目標は今川家の引馬城。



もらおう!


1569年9月

駿府館から援軍が来たが難なく撃破、引馬城を制圧した。



当主の今川氏真を捕縛したが解放。
生かしておいても脅威にはならないし、蹴鞠界に恩を売るのも悪くなかろう(


1569年11月

◆歴史イベント 信長の朝倉攻め(織田・浅井同盟破棄) 発生!

織田家と浅井家との同盟が解消された。


1570年5月

駿府館に侵攻し制圧。今川家は滅亡した。

ここで現在の全国情勢



本城数

5:大友家
4:武田家、毛利家
3:織田家、三好家、徳川家

今川家を軽く打ち破った徳川家は、織田家と同規模の有力大名に成長。晴れて対等な同盟関係になった。
それより西の展開が速そう。あと中国地方がスカスカなせいで毛利家が本城の数以上にデカく見える。





一転して大苦戦

1570年11月

駿府館を手に入れたことで新たに隣接したのは、武田家の躑躅ヶ崎館と北条家の小田原城。
さてどちらから攻めようかと思ったら、こいつら同盟してやがる…
とはいえ必ず援軍が来るとは限らない。迷うぐらいなら攻めようと、小田原城に侵攻。
本多忠勝の神槍で圧倒できるかと思ったが北条氏康の槍極も中々強く苦戦し、そのうち武田が援軍に来てしまった。
即退却指示を出したがなんと北条の追撃隊も出てきて挟まれる始末。半壊状態でどうにか撤退した。
誰も討死しなかったのが不幸中の幸いか。


1571年9月

今後は逆に北条家から攻められる。
撃退には成功したが、立て続けに武田家が攻めてきた。傷兵の回復も城郭の修復も間に合わん。


1571年11月



北条家の当主、北条氏康が死去。後継は氏政だ。
当主が変わった直後、再び攻めてくる北条。展開が熱い。
ちなみにまだ武田家とも交戦中である。きついわー


1571年12月

◆歴史イベント 津軽為信の独立 発生!

西陸奥の石川城で大浦為信が南部家から独立した。
これに伴い石川城が大浦城に改名、大浦為信が津軽為信に改名。

一方その頃、九州では大友家が6つめの本城を手に入れた。
もう九州の半分以上を大友が制したことになる。


1572年1月

北条家に村落を奪われるの巻。
しかし迎撃に向かった徳川家康の足軽隊で、北条氏政の軍勢を全壊させることに成功した。



この間、酒井忠次の率いる別動隊が砦の中から武田家を相手に頑張っている。
そして工作隊の馬場信房を討ち取った。工作隊は討死しやすいのだろうか?
武田の諸勢力、百足衆と武蔵七党が地味に厄介。



諸勢力は砦を無視して駿府館に直行してきた、そして兵力が0になったしまった。
けれど諸勢力に制圧されることはないので、武田家の部隊を優先して叩く。


1572年3月

陣形衡軛+鉄壁之備という万全の状態でありながら、山県昌景の赤備により壊滅寸前まで追い込まれた…
しかしどうにか耐え切った。
激しい攻防だったにも関わらずなんと今回の武田軍は主力ではない。
徳川家を攻めると同時に、武田信玄は上杉家の春日山城に攻め込んでいた。撃退されてたけどね。





雪辱を果たしたかった

1572年12月

武田家の恐ろしさを痛感した徳川家は、北条家の隙を窺っていた。
そして遂に北条が結城家に向かって進軍、手薄になった小田原城に速攻をかけ制圧した。
今回は武田の援軍到着前に決着。
疲弊した北条は逆に結城から攻め込まれる結果となった(しかしこれは武田の援軍もあり撃退される)

毛利家の当主、毛利元就が死去。後継は輝元。


1573年8月

◆歴史イベント 羽柴改姓 発生!

木下秀吉が羽柴秀吉に改姓した。


1573年11月

兵力を集中させ、武田家に真っ向勝負を挑んだ!
武田家4.3万(武田信玄勢2.5万 武田勝頼勢1.8万) VS 徳川家4.4万(徳川家康勢2.4万 松平信康勢2.0万)
兵力ではほぼ互角。



こういう時に限って出てくる信玄は、各種効果で統率127まで上昇している、化物か。
ちなみに全国トップは謙信の133で、信長が115で3位と、上位陣の中でもけっこう差がある。家康?106だけど何か?

結果としては惨敗、ほぼ同じペースで減っていたが徐々に差が開き始めたため撤退した。
先に諸勢力と交戦していて、闘志が少し溜まっていたにも関わらず負けた。

一方その頃、西では大勢力である大友家と毛利家が同盟していた。そこは潰し合ってくれよ…


1574年2月

◆歴史イベント 兼続登場 発生!

樋口兼続が上杉家の配下武将に。


1574年6月

姉小路家が武田家の高遠城に侵攻し出した、無謀にも。
これを好機と見て、同盟国である織田家に武田家を攻めるなら今だ漁夫の利だと要請。
高遠城防衛のため武田は躑躅ヶ崎館から兵を動かす、頃合を見計らい躑躅ヶ崎館を強襲!
今度こそいけると思ったが、湧き出る諸勢力、壊滅する姉小路家の軍勢、さっぱり来ない織田家の援軍。
そして速い、もう戻ってきてる騎馬速い、結局また躑躅ヶ崎館付近での野戦になり…そうなんだ、またしても負けなんだ。
とかやっているうちに、



武田家の当主、武田信玄が死去。後継は勝頼。
おお…このタイミングでか。
直後、織田家の援軍の到着もあり戦況は一変した。
かに見えたが、武田は脅威の粘りを見せ、ついに躑躅ヶ崎館攻略はならなかった。
徳川家は、この戦いで秋山信友を討ち取った。


1575年3月

躑躅ヶ崎館を制圧。おまけで諸勢力、百足衆がついてきた。
しかし氏康のいなくなった北条家といい、信玄のいなくなった武田家といい、急激に弱体化しすぎだ。

ここで現在の全国情勢



本城数

9:大友家
5:徳川家、毛利家
3:織田家、武田家、上杉家、南部家、佐竹家

九州統一確実な大友家、その勢いは今後加速する一方だろう。
そして織田家のやる気の無さ、どうしたものか…