【戦国史】サンプルシナリオを遊びつくしてみた【リプレイ集】



FE版/幕末史1863 榊原家 難易度:-


初期状態(1863年9月)

■石高:15万石
■城数:2
■外交:徳川将軍家に従属
■内政:特になし




【状況】
部将は榊原政敬ただ1人。能力はALL3と至って平凡。
城は高田城14万石と直江津港1万石。直江津港は港だけど貿易できないぜ!

全国各地に直轄領を持ち、さらに120余の従属大名を従える徳川将軍家が圧倒的。

【方針】
徳川将軍家から独立、越前松平家の主家である参与会議と不戦します。
参与会議は臣従含めて150万石を超えてますが、直轄は10万石程度だからきっと同盟締結できるはず…。

【雑談】
江戸時代、転封に次ぐ転封を繰り返された榊原氏。
特に8代当主である榊原政岑の時には、播磨姫路から越後高田へと懲罰的な転封をされました。
これは、倹約令を無視して贅を尽くし、吉原で派手に遊興にふけっていた政岑が、将軍・徳川吉宗の怒りを買ったためです。
しかしその後は転封されることもなく明治維新を迎えることになります。

ところで現代の榊原で知ってる人が榊原ゆい……なんですが、ごめんなさい。




1864年5月



【状況】
16万石。参与会議との同盟に成功したものの、参与会議は解散し、越前松平家が徳川将軍家に従属した。
その越前松平家に直江津港を攻め落とされ、さらに高田城まで攻められている。

榊原政敬は飯山本多家を滅亡させ、本多助成を登用した。

【方針】
石高は微増し、部将も1人増えましたが、城の数は変わらずです…。
本拠である高田城を失うと、もうどうしようもなくなるので真田家に従属、緊急避難します。




1865年2月



【状況】
25万石。真田家に従属、高田城の兵糧を最大にした後に独立。会津松平家と不戦。
善光寺平、松代城を攻略。この間に高田城は兵糧攻めを受け、そろそろ危ない。

【方針】
高田城救援後、戸田家の松本城を攻略します。




1865年7月



【状況】
31万石。松本城を攻略。戸田家を滅亡させ、戸田光則を登用。
会津松平家に従属したことで徳川将軍家との関係を回復。

【方針】
会津松平家から独立、上田松平家の上田城を攻めます。




1866年5月



【状況】
43万石。会津松平家から独立し、複数の城を攻略。
前田家に従属したことで徳川将軍家との関係を回復。

【方針】
ついに18.5万石の甲府城への道が開けました。ここで一気に石高を増やせそうです。
また独立、そして高田城が危なくなるまで領土拡大します。そろそろ越前松平家を潰すことも考えます。




1867年8月



【状況】
7位。89万石。前田家から独立。甲府城などを攻略して石高は以前の倍に。

【方針】
徳川将軍家は出陣してこないようなので、直轄及び臣従大名は放置。
先に従属大名から叩いていくことにします。




1868年12月



【状況】
4位。136万石。上杉家、尾張徳川家、尊攘激派と不戦。

【方針】
尊攘激派と島津家が伸びてきてるので注意しつつ、徳川将軍家を攻撃します。




1870年8月



【状況】
3位。231万石。島津家と隣接。

【方針】
島津家はある程度攻めたら不戦、継続して徳川将軍家と戦います。




1873年6月



【状況】
2位。402万石。徳川将軍家、上杉家、尾張徳川家などを従属。島津家、水戸徳川家、伊達家と不戦。尊攘激派、天誅組と交戦中。

【方針】
天誅組を攻めつつ、尊攘激派と島津家を交互に削るような感じで進めます。




1876年8月



【状況】
1位。1370万石。多数の大名を従属、臣従。尊攘激派、島津家と交戦中。

【方針】
臣従大名が増えてから、尊攘激派と島津家を同時に攻撃できる余裕ができました。
その後は一気に進展してます、やわらかい城が多くて助かります。
そろそろ統一ですね。




1878年1月



【統一】
1609万石。尊攘激派から独立した天誅組を滅ぼし、島津家を従属させ、尊攘激派も従属させ、さらに独立した小大名たちを従属させて統一。

【感想】
徳川将軍家は、ひたすらやられ役なんですね…。
ある時を境に抵抗する(行動タイプを出撃せずから通常に変更するイベント等を入れる)とかだったら、もっと面白かったかも。

城と城の間隔が異常に狭く、密集していて文字が重なりまくりな箇所が気になりました。
もう少し配置を工夫されてたら良かったと思います。

大半が規模3以下と全体的に城が脆かったり、最大移動距離5に対してコストは主街道で2と移動距離設定が厳しかったりします。
あとは城によっては石高がもの凄く高い(確か最大で50万石のとこがありました)です。そのへんがこのシナリオの特徴ですね。

おわり