【戦国史】サンプルシナリオを遊びつくしてみた【リプレイ集】



FE版/サンプルシナリオ 足利将軍家 難易度:-


初期状態

■石高:3万石
■城数:1
■外交:細川京兆に臣従 隣接に三好の主力
■内政:特になし




【状況】
京都を追われて近江に逃亡したため坂本城にいる。三好の主力は洛中に待機しており、中尾城は今にも攻められそうだ。
そんな足利将軍家の武将は2人。当主の足利 義晴は…なので実質的には義輝1人と考えるべきか。
義輝は武6こそ優秀だが他は平凡。肝心の中尾城も規模5と平凡。

【方針】
細川京兆に臣従したままでは数ヶ月で三好に滅ぼされること必至でしょう。
しかし三好に鞍替すれば、細川京兆の猛攻を受けることに。
独立するしかないか!そして三好、細川京兆と不戦!…できるわけないですね。
三好に鞍替が最善なのかな。

【雑談】
"剣豪将軍"足利 義輝の、将軍権威復活を目指す戦いが始まります。
この戦国史サンプルシナリオの初プレイ時になんとなく選んだ三好家が、足利家といろいろあったなんて最近知ったよ!




1551年2月



【状況】
まず三好に鞍替。すると当然ながら中尾城は細川京兆に攻められてしまうが、三好の武将は他の城を攻めにいくため洛中がガラ空きに。
翌月、細川京兆と同盟関係にある大名家に鞍替。それから毎月、野戦を繰り返し洛中を攻め続けてついに落とした。
そして比叡山が落ちそうなので独立。細川京兆から横取りを狙う。

【方針】
比叡山を落とします。




1552年12月



【状況】
13万石。
比叡山の横取りに成功。さらに洛中の時と同じような手順で勝龍寺城も手に入れた。

【方針】
山城に進出してきそうな浅井に注意しつつ、領土拡大。




1553年12月



【状況】
21万石。
三好と六角が激突したため、三好に臣従。
翌月に鞍替、これにより三好の主力を槇島城に隔離することに成功。

さらに大名間の同盟関係を利用した鞍替を繰り返し、大津城と津田城を落とした。現在は六角に従属中。

【方針】
武将を手に入れたい…。義晴は意外とまだ生きてますが、いなくなったら義輝以外郎党という状況に。
まあ畿内に勢力圏を広げていきます。




1554年9月



【状況】
28万石。
浅井に従属。三好の武将は槇島城に集まっているため、他の三好の城を落とすのが容易。
洛中は強化したのでそう簡単には落とされないし。

【方針】
洛中が陥落する直前で三好、あるいは三好と同盟関係の大名に鞍替。
周囲に落とせそうな城があったら落とし、無理なら今度は三好と敵対関係の大名に鞍替。
そしてまた洛中が危なくなるまで三好の城を攻める。その繰り返しで領土拡大しまっす。




1555年6月



【状況】
39万石。
茨木城、淀城を落とした直後、三好と同盟関係で六角と敵対関係の細川典厩に鞍替。
六角の臣従大名領だった瀬田城を落とし、六角へと鞍替。これで三好、浅井らと不戦関係に。

あと義晴がついに死没。

【方針】
まだ暫くはこの流れを繰り返すことになりそうです。
主力は依然として槇島城に隔離状態なのに三好が現在1位ですし…。




1556年9月



【状況】
62万石。
六角に従属。武7の柳生 宗厳を登用できたが、まだまだ郎党だらけ。

【方針】
河内畠山を粛清。




1557年12月



【状況】
83万石。
六角に従属。六角が河内畠山と不戦したため、仕方なく播磨へと領土拡大。

【方針】
播磨に敵がいなくなったら三好に鞍替します。そして河内畠山と戦います。




1558年8月



【状況】
8位。110万石。
三好に従属。河内畠山と交戦中。

【方針】
岸和田城を落としたいです。三好に取られる前に…。




1559年4月



【状況】
7位。136万石。
特に問題もなく岸和田城を手に入れた。

【方針】
雑賀寺を落とします。三好に紀伊進出させてあげない。




1560年3月



【状況】
5位。182万石。
順調に紀伊で勢力拡大できた。石高では逆転したものの、未だ三好に従属してます。

【方針】
筒井が六角に従属していなければ今すぐにでも叩きたいんですが…。
あと本願寺もだ、何で六角に臣従しているんだ…。

そろそろ独立を考えてもいいですよね?




1561年4月



【状況】
5位。218万石。
六角が斉藤との不戦を破棄。それに合わせて六角に鞍替、斉藤を叩く。

【方針】
斉藤が潰れたら、六角が次に攻めるのは朝倉だろうか?

もう5年以上も槇島城から動けないでいる三好の主力部隊を捕虜にしたい。智9の松永 久秀がほしい。
ちなみに現時点での足利将軍家の武将たちの智謀最高値は4です…。




1562年2月



【状況】
4位。261万石。
ついに念願の独立。槇島城を落とし、松永 久秀など優秀な三好の武将を登用。
六角に臣従していた本願寺の石山城も落とす。

【方針】
六角と不戦、そして朝倉に進軍したいところです。
断られたらまた従属大名に逆戻り。




1563年12月



【状況】
3位。286万石。
六角と不戦し朝倉を攻めていたら武田が朝倉を従属、臣従させてしまった。
そのまま対武田という形になってしまったが好都合。

【方針】
このまま武田と戦っていきます。
1位の座から引きずりおろしてやります。




1567年2月



【状況】
3位。403万石。
武田との戦いは順調だったが、六角が北条を潰して大差で1位になってしまった。
そこで武田とは不戦して、全力で六角を攻撃中。

【方針】
六角を武田と同じぐらいの石高になるまで削ります。
それから六角と不戦して、西へ向かわないとやばそうです。
大友が三好を取り込んだりしたらかなり脅威。




1569年7月



【状況】
1位。607万石。
六角と武田の石高がほぼ同じになったので不戦。
三好と開戦、四国に進出。

【方針】
予想通りの展開になってきました。
六角と武田は、暫く一進一退の攻防を繰り広げるでしょう。
その間に三好をぶちぬき、大友領を制圧して西日本を統一します。




1576年7月



【状況】
1位。1250万石。
三好、大友、島津、毛利らを臣従。
六角、武田との不戦を破棄して総攻撃。

【方針】
統一へ。




1578年10月



【統一】
1955万石。
武田の臣従により、東北を一気に手に入れた。
その後、関東に追いやられた六角が従属し、天下統一。

【感想】
初期状態の悪さからして統一なんて無理だろうと思ってましたが、できました!

まず苦労したのは序盤です。
特に武将不足から抜け出すまでは大変でした。
資金面では洛中を早い段階で手に入れることができたので、それほど苦労しませんでした。

中盤も気を抜けない情勢が続きましたが独立以降は一気に楽になった気がします。
1位だった武田を上手く削ることができ、さらに六角と武田を上手く拮抗させることができた点が勝因かなと思います。
大友との交戦中にどちらかが東を統一するようなことになっていたら、東西挟み撃ち状態でしたからね…。

終盤は拍子抜けでした。
西の統一後、わずか2年余りで統一できるとは…。
武田、六角が折れた後は外交だけの数ヶ月でした。

【総括】
今回の足利将軍家での統一を以って、サンプルシナリオでのリプレイ集の更新は一時休止となります。

どんなに厳しい状況からのスタートでも、可能性はゼロではない――
技術も必要だけれども、何より大切なのは根気である――

断念してしまった大名家でも諦めずに続けていれば統一できたかもしれません。
でも人間、失敗は付き物ですよね。重要なのはそこから何を学び、どう行動していくか。
数々の失敗があったらからこそ、今回の統一を達成できたんだと思います。

なんだか無駄に大袈裟な話になってしまいました?


最後になりましたが、戦国史の製作者であるasaka氏と、ここまで読んでくれた方に大感謝です。
このリプレイ集を読んで戦国史を始めてみた、戦国史がもっと好きになったという人がいたら嬉しいです。

おわり