【戦国史】サンプルシナリオを遊びつくしてみた【リプレイ集】



FE版/サンプルシナリオ 宇喜多家 難易度:-


初期状態

■石高:3.8万石
■城数:1
■外交:備前浦上に臣従
■内政:特になし




【状況】
当主の宇喜多 直家は武5、政6、智8、野5という名将。
これが唯一の救い。

【方針】
備前浦上と同盟している適当な大名に鞍替え。
岡山城あたりを狙っていきたいです。

【雑談】
沼城って名前、どうにかならないんですかね…。
まあ逆に印象に残るから良いのかも…しれない?




1551年4月



【状況】
6万石。
尼子家に鞍替え。岡山城を落とした。

【方針】
ここまでで1年かかってしまいましたよ。えーって感じですよね。
さて、金川城を横取りしたいので一旦独立します。




1551年9月



【状況】
9万石。
備前浦上と秋田が不戦したため、独立せずに金川城を落とせた。
さらに常山城を攻撃中。

【方針】
このまま南下したいです。港がほしい。




1551年12月



【状況】
12万石。
讃岐進出。初の港を手に入れた。

【方針】
二方向同時攻撃。




1552年6月



【状況】
16万石。
星ヶ城を落とし、2つ目の港を手に入れた。聖通寺城には、なにもない。

【方針】
攻められてる2つの城を横取りできたら最高。
それからは備前に戻って勢力拡大します。阿波は三好がいてもう無理です。




1554年2月



【状況】
37万石。
横取り成功。河野に鞍替え。備前統一。

【方針】
庄と河野は不戦しそうな流れなので、播磨に向かいます。




1555年3月



【状況】
10位。61万石。
周囲には三好以外大きな大名がいない。

【方針】
赤松、小寺、別所を潰したら但馬へ進出します。




1556年8月



【状況】
7位。98万石。
三好が河野との不戦を破棄したため、三好に鞍替え。
気付いたら周囲を三好の直轄及びその従属、臣従大名に囲まれていた。

【方針】
但馬山名はすぐ三好に従属しちゃったよ…。
まだ攻められる箇所はありますが、結局三好組に囲まれたままなのです。

1年半前はあんなに群雄割拠だったのに、嘘みたいですね。
ここで独立して三好に立ち向かう勇気は持ち合わせてません。やったところで返り討ち確実ですし。
というわけで従属したままひたすら内政。三好が大友と不戦破棄するまで待ちます。




1575年6月



【状況】
3位。140万石。
宇喜多は従属大名として三好を支え続け、大友との戦いでは自身の領土を拡大することにも成功していた。
その後、三好と武田の激戦の時代が続いたが、三好は箕冠城の戦いで武田に大勝し、武田は春日山城にて降伏。
こうして三好による天下統一が達成された。

【断念】
天下統一こそなりませんでしたが、なんとかこの戦国時代を生き抜きました。それも、武田に次ぐ石高の有力大名ですよ!
一度も三好と戦火を交えることが無かった点、畿内から近いという点、これらを考慮するとかなり良い待遇を受けるはず。

あるいは…

征夷大将軍となった三好 義継は幕府の支配体制を確立させるため、ある政策を行うことを決意した。
それは、天下分け目の戦いとなった箕冠城の戦い以降に従属した武田をはじめとする東北の諸大名を、大幅に減封するというものであった。
さらに幕府の要職には長年に渡って三好に仕えてきた大名を次々と指名したため、東北の諸大名は要職に就くことができなかった。
武田 義信は、この一連の流れに不満を爆発させていた東北の諸大名を従えて、一気に都へと進撃することを画策していた。

その頃、九州では大友 義鎮、島津 義久、毛利 輝元らによる倒幕の密約が交わされていた。
彼らは東北の諸大名のように減封されることはなかったが、幕府の要職には就けずにいたために三好への不満を抱いていたのだ。
特に大友 義鎮は、宇喜多 直家の策略に苦戦している隙に三好の大軍に九州を進撃され早期降伏していたこともあり、未だ十分な領土を有していた。

重役に起用され内政に明け暮れていた宇喜多 直家は、倒幕の危機が訪れていることなど、この時はまだ知る由もなかった…

こんな感じで。
西の三国の反乱は宇喜多がなんとか鎮めたが、その間に三好 義継が武田の家臣に討たれたとか。
その後、宇喜多 直家は戦場に散るも、宇喜多 秀家が武田 義信を倒して新たな天下人にみたいな話で。

そういう妄想逃げ。脳内補填。

おわり