信長の野望 天道 リプレイ



全国モード 上級 1565年3月 群雄集結 立花家




はじめに

プレイ設定は以下のとおり



このシナリオ「群雄集結」は、仮想シナリオということで、一応の開始年代は設定されているものの、
実際にはとっくに死亡している武将や、あるいはまだ生まれていない武将も登場します。
なので年齢の概念がないため寿命なし強制、さらにイベントなしも強制されます。
また全ての大名が本城1という平等な条件からスタートするのも特徴です。
このためどこの勢力が伸びる可能性も十分にあると。

せっかくの初PKなのに、わざわざ無印のシナリオを選んだ理由はちゃんとあります。
無印ではクリア特典武将だった立花ァ千代が、通常武将として登場してくれることです。
というのも、無印ではクリアして登場設定にしていても、仕官年数などが正しく設定されていないため、
結局1581年まで出てきてくれないなんてバグだったんですよ。なんのための仮想シナリオ状態。
それがPKで修正されたので安心してプレイできるようになったというわけです。

立花家一門の方々

立花道雪
統107 武*85 知*86 政*64 足軽S 騎馬B 弓B 鉄砲C 兵器A 鬼槍

立花宗茂
統*95 武*94 知*68 政*60 足軽C 騎馬S 弓B 鉄砲A 兵器B 突撃之極

立花ァ千代
統*93 武*75 知*63 政*58 足軽S 騎馬B 弓C 鉄砲A 兵器B 鬼槍

全体的に統率が高く政治が低いですね。政治低いと言っても全武将中で考えたら平均以上ですが。
さらに家宝により道雪が武+2で、宗茂が統+1です。

宗茂だけ騎馬向きのいらない子かと思いきや、弓も鉄砲も兵器もいけるので募兵奉行にはならなくて済みそうです。
というか3人ともがS1A1B2C1の高水準適性持ち。これはS1A2B1C1の信長に次ぐ万能性、恐るべし立花家。

ゲーム開始。





討ち死にすぎ

1565年3月

立花山城は九州の北に位置している。兵力は10210と高め。
武将は9人。初期技術は足軽系統の三間槍のみ。



周辺勢力

黒田家/柳川城(南西 兵力9430 武将5 隣接)
要注意武将は大名の黒田孝高、統率81+7に知略99だ。足軽B鉄砲A兵器Sと適性も優秀。

大内家/城井谷城(南東 兵力9280 武将10 隣接)
気になるのは陶隆房の統率90ぐらい。なんか人数多い割に適性S持ちが誰もいない。

龍造寺家/村中城(西 兵力9610 武将9 隣接なしだが山道で繋がる)
鍋島直茂が統率90と知略91で輝いてる。適性も足軽以外は高水準。

宇喜多家/高嶺城(東 兵力9400 武将8 隣接なしかつ海を渡る必要あり)
大名の宇喜多直家が知略99と高く、花房正幸という射切持ちで弓A兵器Aなんて武将もいる。

いきなり中国地方へとか面白いのかもしれないが、まずは九州統一を考える。
周辺みんな相性普通なので同盟はどうなるか分からない。少し離れた大友家、伊東家は相性最良。
文化は城数が増えてからじゃないと振興が厳しいので後回し、名声も313で400まで遠い。兵糧と金銭の確保に施設枠を費やす。


1565年4月

大内家から同盟を持ちかけられた。無償承諾による名声+10で名声323に。
こうなると狙うべきは黒田家か。


1565年9月

筑後で黒田家の町並、商人町と武家町を奪い砦を設置した。



筑後には武家町が2つあるので、柳川城の兵力増加を完全に止めるには至らないがそんなの問題ではない。
じわじわ追い詰めていくことこそが鬼畜道。そう、鬼道雪ではなく鬼畜道雪なのである(
商人町では市ラッシュで小銭稼ぎをする。

そしてすっかり忘れていた朝廷への献上を5%に設定。


1566年10月

全国的に動きがなく、いまだ滅亡した勢力なし。
龍造寺家が黒田家に攻め込んだところを背後からつき、両方とも美味しく頂くという展開を期待していたのだが…
なんと両者で同盟していた。


1567年12月

滅亡第一号は肝付家、島津家に滅ぼされた。


1568年8月

黒田家の柳川城へ進軍したところ、隙を突いて龍造寺家が立花山城に向かってきた。
引き返してこれを返り討ちにし、そのまま村中城を制圧。
こうして龍造寺は滅亡した。龍造寺と同盟している黒田は援軍に来なかった。なんと薄情な!

またこの戦いで龍造寺家兼を討ち取った。
とりあえず龍造寺隆信、鍋島直茂、成松信勝の3人を登用。
耐久の減っている村中城を目がけて進軍してきている有馬家を叩く。


1568年12月

大村城を制圧、有馬家を滅ぼした。
しかしこの間に阿蘇家と大友家が、黒田家に向かって出陣していた。
漁夫の利を狙うため急いで武将移動。

阿蘇は黒田にあっけなく撃退され、早々に撤退してしまったため交戦できなかったが、
大友からは傷兵をがっつりいただいた。さらに一萬田鑑実を討ち取った。


1569年4月

連戦のせいで兵糧がレッドゾーンに、さらに奪った城の内政も進んでいなかったため暫く進撃は中断。
どうせもう黒田家はいつだって滅ぼせる。そう思っていたら砦を破壊され武家町を取り返された。

直後に宗茂の率いる騎馬隊が到着、退路を断った状態で敵部隊の殲滅に成功した。
が、後に登用するつもりだった黒田長政を討ち取ってしまった。これは喜べない。
そしてこの一件でさらに兵糧に打撃が…


1570年1月

秋の収穫では足らず、冬を迎えてからの進軍となった。
柳川城を制圧、黒田家を滅ぼした。
これで本城4となり筆頭勢力に。次点は本城3の島津家。


1570年4月

うっかり延長を忘れて大内家との同盟が切れてしまった。
しかしもう開始から5年か…

書き忘れていたが、大名だった有馬晴純や黒田孝高は無事に登用できた。
現在武将21人。


1571年10月

隈本城を制圧、阿蘇家を滅ぼした。
ここでついに島津家と隣接、島津に打ち勝てば九州統一がほぼ確実となる。


1572年1月

大友家から同盟を申し込まれ、承諾。



四国の覇者は長宗我部で決まりか。そして進展しない中国。





九州統一

1573年2月

城井谷城を制圧、大内家を滅ぼした。

一方その頃、島津家が隈本城に進軍してきていたが、城を盾にどうにか撃退成功した。
すかさず追撃をかけ、逆に人吉城を制圧してやろうと思ったが、島津は既に西洋建築+近代戦闘で守りが堅く、
更に捨奸で予想以上に削られてしまったのであえなく撤退。



1574年4月

あれからというもの、互いに決定的な打撃を与えることは出来ず拮抗状態に陥った。
そこで振興していた文化「技芸」の教練によって武将たちを強化することにした。

こうして鬼道雪は鬼教官となった。しかし指南法は我流である。


1574年11月

期間半年、二度に渡る教練で統率を強化した。我流の効果で一部の武将は知略も微上昇。
改めて島津家の人吉城に攻め込む。もとい、兵力輸送で釣り出してから、カウンターをかける。


1575年1月

道雪勢とァ千代勢は足軽、宗茂勢は鉄砲という編成。



敵は20000ほどの軍勢3つと、陣形を組んでいない少数部隊が2つ、そして諸勢力の高千穂党。
人吉城に残っている兵力は10000弱だが、佐土原城には60000以上が待機している。援軍が怖い。


1575年4月

勢力圏内での野戦は櫓や砦もあり当然優位に進み、伊東祐益を討ち取った。
しかしそれから人吉城の攻城は失敗。予想通り佐土原城からの大援軍で次第に戦況は悪化。
集中砲火されていた道雪勢は真っ先に撤退。ァ千代勢は逃げ遅れ半壊。
安全地帯から鉄砲を撃っていた宗茂勢だけほぼ無傷で済んだのが不幸中の幸いか…


1575年5月

援軍を送った佐土原城は兵力5000ほどまで減っていた。
盟友、大友家はこの好機を逃すまいと出陣。
島津家は慌てて人吉城から兵力移動を始める。

これは再び進撃すれば大勝利の予感。


1575年8月

混乱に乗じた進軍が功を奏し、楽に人吉城を制圧できた。
大友家は撃退されていたが、それでも高千穂党を制圧するなど一定の成果を上げた模様。


1576年1月

大友家から同盟延長の使者が来た。無条件承諾で名声上昇、遂に500台に。


1576年3月

道雪が隠居し、ァ千代が家督を継いだ。



しかしこれは島津家を油断させるための(ゲーム的には無意味)名ばかり隠居、すかさず佐土原城に総攻撃をかける。


1576年6月

東郷重位を討ち取り、佐土原城を制圧。


1576年8月

肝付城を制圧。島津家を内城に追い詰めた。


1577年2月

内城を制圧、島津家を滅ぼした。
これで本城は10となり、九州に残るのは同盟国の大友家のみ。

今後は宗茂に軍団を任せ中国地方を担当させる。
当主となったァ千代は四国へ。道雪は地元九州で隠居の鬼教官として後進の育成に励む。
延長できなくなるか、向こうから破棄してくるであろう大友を滅ぼせば晴れて九州統一となる。





上洛そして全国統一へ

1580年9月

宇喜多家、尼子家、長宗我部と順調に取り込んでいたら包囲網発生。
しかしもうひたすら力押しで東進するのみなのであまり関係ない。



関東を支配する佐竹家は開始時からずっと同盟国なし。
それなのにこの結果だから凄い。佐竹義重は確かに優秀だが、それでもどこからこんな力が沸いてきたのか謎。
逆に開始直後から同盟してる北条家と武田家が情けない。


1581年11月

四国を統一。


1582年6月

同盟が切れた大友家を滅ぼし、九州統一。九州探題を名乗る。
名声も1000を突破した。


1583年11月

岸和田城を制圧、三好家を滅ぼした。
ここで羽柴家から同盟を提案され承諾。


1584年6月

公家を「招待」し大納言に就任。



浅井家と朝倉家の同盟が勢力を拡大している。


1584年9月

二度目の包囲網が発生。
直後、各地から諸勢力が出陣してきた。嫌がらせか。


1585年1月

雑賀城、筒井城、そして室町御所を制圧。上洛を果たした。


1588年6月

本城過半数突破。



全国統率ランキング、少しスクロールするとさらに立花家率が上がる。
もう教練する意味もないだろうので道雪を戦線に復帰させる。


1589年3月

ァ千代、関白に就任。


1590年4月

関東の覇者である佐竹家を朝敵に。
史実でいうところの小田原征伐感覚である。


1593年5月

佐竹家、上杉家、伊達家などを滅ぼし北上中。
本城60まで到達。残るは安東家、南部家、蠣崎家。


1594年5月

浪人の一条兼定がやたら強気。



むしろ登用したら後悔すると思うんだ…


1594年6月

安東家を滅ぼし、天下統一。



初期国力差がないと、敵の伸びが遅すぎますねー。佐竹家の全盛期でも本城10届いてませんでした。
おかげで前線に集中する兵力50万!とか見なくて済みました。
なのに時間かかってるのは途中で教練ハマってて侵攻そっちのけ(軍団任せ)が主な要因かと。軍団は攻めるの遅いです。

そんなこんなでPK追加要素の感想。今回の他に何度かプレイした上でのものです。

*文化
なぜ技術のようにしたのか謎。もっと違ったアプローチでも良かったろうに…
進むほど難易度が下がり、だれる、作業化、加速します。
でも名声施設無駄に立てまくるAIが少しは救われそう!とか思っていましたが、
やっぱりダメでした領土少ないと意味ないね。大勢力になると怖いのかもしれません。
**武家
戦法の付加効果が強化されるため、威力だけでなく付加効果が優秀な戦法持ちが活躍します。
八幡宮の建てなおしが正直いって面倒です。
***教練
成長力が多すぎるのか上昇値が大きすぎるのかどっちもなのか、いずれにしても強力。
条件さえ満たせば何人にでも戦法伝授できる相伝武将が凶悪。
にも関わらず縛れない。まあAIはあまり有効に使ってこないようですが、
変に強化された武将を見ると萎えるという意見には頷けます。何で教練禁止のAI編集ができないのか…
**公家
和解や仲立は使える時期が遅く微妙です。
古今伝授で刀狩を手に入れた!奉行がハッスル!一揆が勃発した!が中々のイラ要素。
招待は美味しいけど相応のコストがかかる点には注意。
***斡旋
運次第ですが当たりを引くと以降の難易度が激減しますね。特にエース不在の弱小家。
しかしその振興しやすさと、全国どこでも関係ないね故に人事バランスブレイカー。
AI編集で使用禁止を推奨する人がいるのも納得です。
***朝敵
同盟や停戦を剥がせるため状況次第ではものすごい効力を発揮するのかも。
しかしこれが使える頃にはもう勝ち確であるケースが多い気もします。
**寺社
収入強化系が嬉しい。大量に雇って加増しまくっても俸禄が気にならなくなります。
兵糧もかなりの余裕があり、最悪の場合でも沸きまくる金で米を買えばいいだけ。
**南蛮
軍事施設強化で防衛をより簡単に。
相対的に間接兵科の価値が更に上昇した印象です。一方的に殴れるって素晴らしい。

*AI編集
物足りない。かゆい所に手が届かない。
全体として大雑把なものです。カスタム(笑)
思い通りの動きをさせたいという人には向かないだろうなあ…

*大連合
いかにもゲーム的というか…単純に難易度上げたい人にしか向かないと思います。

*混戦
先に攻め込んだ勢力が涙目になりやすいです。特に包囲なんかしようものならフルボッコ。
しかし漁夫の利狙いのつもりが更に別の所から来たーなど中々タイミングが難しかったり。
攻め込みにくく攻め込まれると大変。状況次第ですが、まあAIが馬鹿な分だけプレイヤー有利かもしれません。

*追加シナリオ
無印からほぼ倍に増えました。
武将も増えましたしイベントも増えました。
鉄砲伝来以前であり、キリスト教の伝来まで15年もある「信長誕生」は軽く別世界です。

総じて、無印で間に合っていたかも。
最も良いと思った追加は兵科や兵力の一括コマンドです。冗談です。

おわり